巨匠・あだち充の兄、あだち勉という破天荒な人物の存在

今週の少年サンデーは、50周年記念でした。

週刊少年サンデー2009年16号

週刊少年サンデー2009年16号

さて、今号は週刊少年サンデーを長い間支えてきた大御所、あだち充氏と高橋留美子氏の合作が載っていました。それは両マンガ家の少年時代からマンガ家として大成するまでのエピソードを描いたもので、2人の目を通した昭和マンガ史みたいになっていて興味深いです。

さて、ここで私が注目したのは、あだち充氏をデビューさせるきっかけとなった兄の存在。マンガだとこの人ですね。

『週刊少年サンデー』2009年16号P166

 

このマンガで書かれているエピソードでは、「一緒に投稿を行っていた」、「その後マンガ家をあきらめて東京のデザイン会社に勤めていた」、「あだち充氏が『COM』の常連になると、親を押し切って東京に連れて行ってしまった」、「そして自分も再びマンガ家を目指すことになった」というもの。
実はこのエピソード、私は以前とあるマンガを読んで知っていました。それは以前、こんなマンガを読んだから。

あだち勉『実録あだち充物語』

あだち勉『実録あだち充物語』

これは、今はもう亡き『少年ビックコミック』(『ビックコミックの少年版』、ちなみに後継雑誌は『ヤングサンデー』、つまり今ではスピリッツということになるのかな)で連載されていた、『実録あだち勉物語』というもの。タイトルからわかるように、これは当時『タッチ』などで絶大な人気を博していたあだち充氏のそれまでのエピソードを中心に書かれている物語です。しかし作者をよく見てみるとあだち「勉」となっています。そう、この人があだち充氏の兄。私はこのマンガであだち勉氏のことを知っていました。

 

さて、このマンガ、一見すると人気マンガ家の兄で、自分もマンガ家だけど売れなかった人が大人気の弟にあやかって描いたようなマンガに見えます。というかそう描かれています。しかしけっしてつまらないものではなく、現実をもとにしたものとしてわりと楽しめるものになっています。さらに、その当時の漫画界の裏舞台を見るものとして貴重なものともなっています。

登場人物はあだち充氏、そして作者のあだち勉氏。で、基本的にダメ兄貴の勉氏が、人気マンガ家の充氏につきまとうようなギャグ構成となっています。で、両氏の師匠でもあった石井いさみ氏などもネタにされています。

 

ここでは前述のように、大人気の弟につきまとっているダメマンガ家兄貴のように描かれていますが、本当にそうだったのか。実はこのマンガ、長い間処分できなかったのは、たぶんここで手放したら入手困難だろうと思ったのと、わりとそのおもしろさが気に入っていたから。そう、1回ならともかく連載でやるとダレがちなのにけっこうおもしろいのですよ。

そして絵柄。たしかに今見ると古いですが、単行本の刊行が昭和59年、つまり1984年なのでそれはむしろ自然です。しかしここで見るのは、当時コロコロコミックなどで一般的だったギャグ的絵柄ですね。しかもそれに加えて、劇画がところどころに挿入されるのですが、これの絵柄もわりとうまい。少なくとも全く才能がないと言うことはないんじゃないかなあと感じていました。たしかに当時としてもサンデーには合わない感じですが、コロコロやマガジンでは赤塚系として、こういったギャグ絵は一般的だったと思いますし。あと劇画はおそらく石井いさみ氏の影響かと。

『実録あだち充物語』P183

『実録あだち充物語』P183

『実録あだち充物語』P111

『実録あだち充物語』P111

ちなみにこのマンガの巻末には、あだち充氏のおまけマンガ『実録あだち勉物語』が出てくるのですが、なんかキャラクター的には、あだち充マンガによく出てくる、うるさいし迷惑だけど憎めないタイプの感じがします。

『実録あだち充物語』P185

『実録あだち充物語』P185

勉氏のギャグ絵の線柔らかかくすると、そのままあだち充氏の絵に近くなる感じですね。

 

ちなみに私、マンガに書いてあった、1990年代に新所沢にあった、勉氏が役員を務めていた書店に行ったことがあります。そこは3~4階建ての店で、駅前にあるそんな広くはないけどまあまああるかなって感じの店でした。しかしショーケースに、あだち充氏の色紙が何枚も置いてあったのが印象的でした。

 

で、これを読んで数年後、しばらく忘れていたのですが、以下のようなニュースが報じられました。

あだち勉氏死去―四国新聞社

そう、この方が亡くなったというニュース。この時マンガやその本屋を思い出して、ああ、残念だなあと思っていました。

 

で、今回サンデーを読んでTwitterで軽くそれについて触れていたのをきっかけに改めて調べ直してみたのですが、この方、予想以上にすごい人だというのがわかりました。

「バカあんちゃん」の豪快人生…「タッチ」作者実兄 故安達勉氏、赤塚不二夫氏師事「増刊号の星」とうたわれ – ZAKZAK

これはマンガにも少し書かれていますが、弟のマネージャーをしながら、名刺から見るに会社も興していたようです(先述の本屋とかかな)。さらにマンガに関しては、このようにあります。

 勉氏は、まもなく赤塚氏に「チーフアシスタントなってくれ」と誘われる。当時は『天才バカボン』『もーれつア太郎』など赤塚マンガの全盛期。勉氏は「バカボン」を担当した。師匠と一緒で、「飲む、打つ、買う」すべて揃った遊びっぷりは豪快だった。本人も「先生やタモリと一緒のバカ騒ぎが楽しかった」と振り返っていた。

ただ、マンガへの熱意はなくし、マージャン荘で「ヤクザもんと打ち歩いた」ことも…。数年前には立川談志師匠率いる立川流に入門を許され、「立川雀鬼」を襲名。

赤塚氏はエッセーで「存在そのものがギャグみたいな男で憎めない。付いた師匠が悪かったわけではない、と思う。断言はできないけれど…」と記している。

このように、自分では才能がないといいながらも、赤塚先生には才能を非常に買われていたのですね。しかしそこは赤塚先生に気にいられる人らしく、超破天荒な人生を送っているタイプです。先のサンデーのマンガにも「親不孝な兄貴」と書かれていますが、それのスケールは予想のはるか上にあったようです。

おまけにWikipediaでソースの確認はとっていないですが、こんな話も。

あだち勉 – Wikipedia

漫画家としてのデビュー後、赤塚不二夫からの「チーフアシスタントになってくれ」との誘いによりフジオプロに参加、赤塚門下四天王と称される。

ここで言う四天王の他とは、高井研一郎、古谷三敏、北見けんいちという、赤塚門下の現代の大御所揃い。
しかし、先の『実録あだち充物語』では、赤塚先生はパーティーで一瞬しか出てきません。このマンガでは自分を徹底して弟の腰巾着の才能ないダメ兄貴というキャラにして、ギャグに徹したのでしょう。

 

ちなみに、「あだち勉氏について書くのはうちだけだろう」と思っていたのですが、意外と書かれている方が多くて驚きました。

■参考:いけさんフロムFR・NEO RE 「実録あだち充物語」~実の兄が描いた70年代ストーリー
■参考:赤塚先生とあだち勉先生 – 足立淳のブログ彼岸花・改訂版 – 楽天ブログ(Blog)
■参考:『実録あだち充物語』 – 続ドクバリニッキ

 

たぶん勉氏は、才能がないなんてことはまるでなく、その方向がマンガという一箇所にとどまらず、破天荒に人生を全うしたという感じを受けますね。

昔から今まで、マンガ家はとんでもない数の人がデビューし、そして消えてゆきました。その中には才能を持ちながら、タイミングなどがあわずに表に出ることがなかった人も多いのかなと思ってしまいます。