ポートガス・D・エースは「死ねた」のか

今日のエントリーは『ONE PIECE』の比較的最近のネタバレを含みますのでご注意ください。

『ONE PIECE』は、ここ1年辺りの急展開がやっと落ち着き、連載以来初となる4週連続休載が話題となっています。

週刊少年ジャンプのONE PIECE(ワンピース)が一時休載のお知らせ!? 2010/08/26(木) 17:47:38 [サーチナ]

ここ1年くらい息もつかせぬ展開だったのですが、代表的なのはやはりエース救出を賭けた頂上決戦でしょう。

さて、ここまでの展開で私が、そしてわりと多くの人が思っている疑問(のようなもの)があるのではないでしょうか。それは、頂上決戦で死んだはずのポートガス・D・エースが、本当に死んだのか、ということ。

エースの死は、具体的に描写されているにもかかわらず、ネットなどではどうもこれに対して懐疑的な意見が散見されます。かくいう私も、「もしかしたら生きてるんじゃないの?」という可能性を否定できません。ただ、これはある意味において必然とも言えます。

キャラクターが死ねない≒死んだと読み手に認めてもらえないこと

マンガのみならず、フィクション作品においては人が死ぬことはよくありますが、その中で「死ねない」ということが起きることがあります。これは正確に言うと「死んだと読み手(受取手)に認識してもらえない」ということ。具体的には、在るキャラ(特に主要人物)が作中で死んだとされるシーンが出ても、読者がそのまま死んで感動とかよりするより先に「あれ?」「死んだ? 何で?」と思ったり、「実はまだ生きてるんじゃないの?」という疑いの方が強くなってしまう感じですね。

『ONE PIECE』において、エースは連載の初期からその存在感を強く出していたキャラであります。ポジション的にもレギュラー陣と並ぶくらいの人物です。もしかしたらここで死亡することは多くの人が予測していなかったのではないでしょうか。故に、あれだけ明確なシーンを見せられても、まだ「実はまだ生きているのでは?」という疑いを持っている人がいると思われます。もっとも話の展開は最後までいかないとわからないので本当に生きている可能性もありますが、それと関係なく死んだとシメされているキャラなのに、まだ多くの読者にとって「死んでいない」と思わせてしまうわけです。

これは、『ONE PIECE』のそれまでの展開にも原因があると思います。というのは、このマンガ、明確な形で描かれる死者が過去回想を除くとほどんどいないのですよね。というのは、今までも死亡したと思ってもあとで復活したキャラ(巨人のブロギー、ウォーターセブンの大勢)がけっこういますから。代表的なのはアラバスタ王国の鳥人ベル。戦いの最中はあのページまるまる使った爆発シーンから、てっきりみんな死んだと思っていましたが、結局その後生きていることが判明しました。こうなると、「エースはまだ生きている」という思いを持っている人は少なからずいるのではないでしょうか。
ちなみに、ゲッコー・モリアも死亡記事が新聞で流れましたが、こちらもまだ生存を疑っている人は多いのではないでしょうか。

逆に同じく死んだ白ひげの場合、ある程度「世代交代」ということで死ぬパターンを予見していた人もいますから、わりとすんなり受け入れる人も多いと思います。ただ、それでも疑っている人もわりといるのでは。

ただ、読者の受け取り方としてはともかく、作品ではどのような展開になろうとも死んだと作者が提示したキャラは死んだと読み手に思って欲しいわけですよね。そうしないと万が一復活したときの衝撃も薄いし、本当に死んでいたときは逆に「あれ?」と思わせてしまうので。だけど、上記のようにそう認めてもらえないこともある、というかむしろ多いわけです。

まあ理論とか抜きにして、読者としてはやっぱいいキャラクターには死んで欲しくないって心情が一番強いのかもしれませんが。

ある意味ジャンプの伝統

しかしこういった「キャラが死ねない」というのは『ONE PIECE』に限ったことではなく、むしろ少年ジャンプというものの伝統みたいなところがあります。

代表的なのは『男塾』でしょう。何回も「死亡確認!」されたにもかかわらず、その戦いが終了する頃にはみんな生きているので、後に進むにつれて、誰も死んだと思わないようになってしまいました(もっとも作者の宮下あきらさんは、それをふまえて開き直っていた感じはありますが)。

あと『キン肉マン』や『ドラゴンボール』も同じ感じだと思います(もっともこの二つは、「死んだ後の世界」が描写されていたのも「死」を正面から受け入れづらい一因だったでしょうが)。

この「少年ジャンプは人が死なない(死んだと思っていても復活する)」というのが、エースが死んでいないと思う根拠にしている人もいると思われます。

ちなみに真逆なのは『デスノート』ですね。このマンガでは最初から徹底して生き返り、復活というものを排除しており、「死んだ=生き返られない」というイメージを読者に与え、それ故に緊張感を保ち続けてのめり込ませたと思います。もし1人でも連載前バージョンのノートに書かれた人を生き返らせる消しゴム、デスイレイザーとかがあって復活していたら、おそらくあのLの死亡シーンも信じてもらえず、「死んだふりをしている」と信じた読者も多く発生したのではないでしょうか。

死亡ヒロイン復活の噂とかが流れた思い出

ジャンプ、いやマンガに限らす、この「死ねない」パターンは存在します。

『ファイナルファンタジーVII』でもそれがありました。この作品、途中で主要な登場人物の1人(もう大体の人は知っているでしょうが念のため名前伏せておいて)が死亡するのですが、主要人物がいきなり死亡することに対し、「本当に死んだのか」「実は新でないのではないか」といった話題が立ち始めました。それは発売からしばらくした後も続き、発売当時日本では普及の初期だったインターネット上においても「実は死んでいない真ルート(裏ルート)がある」という噂が流れていました。

あと、アニメでも『新世紀エヴァンゲリオン』において、加持さんが死んだとき、それまで主要人物が誰も死んでいなかったことや明確な死亡シーンが描写されていなかったこともあり、実は生きていると思っていた人がけっこういたのではないでしょうか。

どうやって死なす(死んだと認めさせる)か

このように、キャラクターの「死」はなかなか信じてもらえないということは多いわけです。それ故に、その「死」を信じさせるためには、ストーリーの流れの中で説得力をつける必要があります。

頂上決戦前に、回想がかなり入って、エースの過去が多く明らかになったのは、その準備とも言えるでしょう。

また、頂上決戦後、明確に赤ひげが白ひげとエースの墓の前にいて、マルコと話すシーンが描いてあったのは、おそらくはその「死」を多くの読者に信じさせるという目的もあったのではないでしょうか。また、ストーリーが仲間の様子に行く前にエースとの過去回想を挟んだり、その「エースは死んだ」ということをルフィに認識されることで、読者にもそう思わせる役目があったのではないでしょうか。

ちょっと話がそれますが、 「死亡フラグ」とよく言われるものがあります。それはこの台詞を言ったりこの展開になると、物語の展開上この人は死ぬのではないかという予測が立つものですね。ただ、これは逆に言うと、「このキャラが死ぬという流れに読者を導いている」とも言える面があると思います。

おそらく、今後も『ONE PIECE』内で時折エースのことが語られて、そのような状態に持っていかされるのではないかと。

これからの展開は

『ONE PIECE』においても、おそらく今後エースの死はルフィーの心情をはじめとしてかなり重点を占めるでしょう。ただ、同時に「死んでいない」という読者の疑いとも戦うことになるかもしれません。それをどう消化してゆくかが注目点のひとつでもあると思われます。

しかし、希望とか予測とか抜きにして、本当に生きていて復帰する可能性もあるでしょう。読者の大半が死んだと思った時に、いきなりいい意味で期待を裏切って復活する、というのも期待する気持ちも私の中にあったりしますしね。

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ONE PIECE 59 (ジャンプコミックス) : 尾田 栄一郎

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